メールマガジン2024年6月号

2024年11月13日

———————————————-

◆◇◆ 官澤綜合法律事務所メールマガジン◆◇◆

———————————————-

2024年6月25日

 

こんにちは、官澤綜合法律事務所です。

 

東北地方が梅雨入りしました。

温度も湿度も高くうっとおしく感じることもありますが

水不足で大変な状況でもあるので少しでも恵の雨となればいいですね。

 

 

さて、メールマガジン2024年6月号をお届けします。

ぜひご一読ください!

 

◆目次◆—————————————-

 1、法務コラム 「検察官の風呂敷」    弁護士 翠川洋

 2、「甲信真田の城巡り」 弁護士 小向俊和

 3、7月10日法務セミナー開催のご案内 

 ———————————————-

 

□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■ 【法務コラム】 「検察官の風呂敷」  弁護士 翠川 洋

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回はちょっと軽い話題です。

一般の方が刑事事件の法廷傍聴をするといろいろ驚くことがあるようですが、中でも検察官がカバンではなく、風呂敷包みを持って法廷に来ることにビックリするようです。

「これは何かの伝統やしきたりなのですか?」と質問されることもあります。

 

たしかに、今どきスーツ姿の男女が風呂敷包みを持ち歩く姿を見かけることなどまずありません。

そもそも、職場で風呂敷を使う職業もそれほどなさそうです。

でも、検察官が法廷に風呂敷包みでやって来るのは、しきたりなどではなく、実際的な利便性からなのです。

 

刑事裁判で検察官は、被告人が有罪であることや刑の重さについて証拠で立証する責任があります。

そのため、検察官は起訴状を朗読し、冒頭陳述で被告人の犯行のあらましを説明した後、それを立証する証拠の取り調べを裁判所に請求します。

証拠には、捜査段階で集めた写真や図面などの捜査書類や関係者の話を聞き取った調書などの書類(書証)や証拠物、証人などがありますが、まず、弁護人が同意した書証から取り調べることになります。

裁判所が弁護人に対し、請求されたそれぞれの書証について同意するか否かを尋ね、同意があった書証を証拠として採用すると、検察官はそれらの書証を朗読したり、裁判官や被告人に見せたり、要点を説明したりします。

これが書証の取り調べです。

そして、取り調べが終わった書証は、その場で検察官が裁判所に提出します。

 

もうお分かりですね。

検察官が法廷に来るときに持ってきた風呂敷には書証が包まれているのです。

(たまには証拠物の包丁や覚醒剤が入っていたりもします。)

検察官は法廷にどっさり書証を持ってきても、その日の裁判が終わるまでにはそれを裁判所に提出してしまいます。

カバンではなく風呂敷で持ってくるのは、帰りは持ち物がなくなるからなのです。

風呂敷はそれ自体軽い上に、カバンと違って書証の量に合わせてどんな形にも包めます。

中身が空になったらスーツのポケットに入れてしまうこともできます。

使ってみると分かりますがものすごく便利なのです。

 

入廷するとき大きな風呂敷包みを机にどんと置き、帰りは手ぶらで颯爽と帰る、そんな姿がさまになるのが一人前の検察官なのかもしれませんね。

 

以上

(弁護士 翠川 洋)

 

 

□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■ 「甲信真田の城巡り」     弁護士 小向俊和

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

以前、「上州真田の城巡り」と題するコラムを作成しましたが、昨年秋には、甲州(山梨県)と信濃(長野県)にある真田にゆかりのある城巡りをすることができました。前回コラムの続編としてご紹介させていただきます。

 

1 躑躅ヶ崎館・要害山城(山梨県甲府市)

 武田信虎・晴信(信玄)・勝頼3代にわたる、武田氏の居城。

真田昌幸は、若い頃、武藤喜兵衛と名乗り、ここで武田信玄の近臣として活躍していました。

 躑躅ヶ崎館跡は、現在は「武田神社」として甲府観光の名所の1つとなっています。

当時から残っている建物等はありませんが、主郭を取り囲むように巡らされた大きな水堀は、戦国中期の守護大名の館の雰囲気をよく伝えているように思います。

敷地内には宝物館もあり、武田家にまつわる様々なお宝を見ることができます(特に「武田二十四将図」は必見です)。

 武田神社から2、3キロほど北に進むと、躑躅ヶ崎館の詰城である要害山城があります。

躑躅ヶ崎館は平地にあり、基本的には政治の拠点として利用されていたのに対し、こちらはまさに戦のために作られた山城です。

武田信玄は、この城で生まれたとも言われています。

山城なので、登城はなかなか大変ですが、土塁や堀、郭の跡が残っており、往時を偲ぶことができます。

 

2 新府城(山梨県韮崎市)

 武田勝頼が織田・徳川の脅威に備え新たな本拠として築城した城で、武田氏最後の居城。

一説では、真田昌幸がこの城の普請を担当したと言われています。 

 織田・徳川への防御を意識した武田氏の居城にふさわしく、台地上に広大な城域が残されており、周囲は川や急峻な断崖に囲まれています。

そのような構造である関係で、主郭に至るまでには、とても急で長い石段を登らなくてはなりません。

しかし、登りきった後に広がる広大な本丸跡からは、天気がよければ八ヶ岳が綺麗に望めます。

また、武田の城らしく、複数の馬出し跡が残っており、こちらも必見です。

 

3 岩殿城(山梨県大月市)

 武田氏の重臣・小山田氏の城。武田勝頼が織田・徳川連合軍に攻め込まれた際、真田昌幸の献策により、一旦は新府城から真田の城である岩櫃城(群馬県)に移ることを検討しますが、その後、重臣の小山田信茂の献策を容れ、ここ岩殿城を目指すことになりました。

ところが、その小山田信茂が勝頼を裏切り、勝頼は岩殿城に入ることができず、最終的に天目山で自害、武田氏は滅亡します。

仮に勝頼が昌幸の献策を受け入れて岩櫃城に入っていたならば、歴史は変わっていたかも知れません(本能寺の変もなかった!?)。

 城跡がある岩殿山は、大月の市街地からも目立つ、岩剥き出しの山であり、登城口からかなり急な坂を息を切らせて登城していくと、遠く富士山も美しく眺めることができました。

 

4 上田城(長野県上田市)

 真田の城といえば、やはりここ、上田城です。

 真田昌幸が精魂込めて築いた城であり、平城でありながら非常に堅固。二度にわたり徳川の大軍を打ち破った城として、あまりにも有名です。

特に、城の南側の「尼が淵」は、現在は広場・駐車場になっていますが、かつては川が流れており、その川が天然の堀をなしていました。

そこに沿って急峻な石垣・櫓が聳り立つ姿は絶景です。

その他、再建された櫓門等、見所は満載です。

城内には眞田神社があり、真田昌幸・信之・幸村にあやかろうと、御朱印を求める人たちで長蛇の列ができていました。

 なお、上田市街には、池波正太郎・真田太平記館というところもあります。館内も大変充実しており、池波ファン、真田太平記ファンは、上田に行ったら是非訪れたいスポットです。

 

5 砥石城(長野県上田市)

 砥石城は上田城から北東に約3キロ、上田平に突き出た山の尾根に築かれた山城。実は歴史上、様々な場面で重要な役割を果たした城です。

 武田信玄は、その生涯の中で、2回ほど屈辱的な大敗を喫したことがあると言われていますが、その1つの舞台となったのが、この砥石城です(ここ砥石城で村上義清に敗れた戦いは「戸石崩れ」として語り継がれています)。

また、真田VS徳川の第一次上田合戦では、ここ砥石城に真田信幸が籠城し、上田本城に籠城した真田昌幸・幸村(信繁)との華麗な連携プレーにより、徳川軍を完膚無きまで打ち破りました。

登城はかなり急峻な坂となりますので(ロープをつかみながら登らなくてはならない箇所もあり)、それなりの覚悟が必要ですが、このような歴史の背景を思いながら登城するのは感慨ひとしお、主郭まで登れば、上田市街を一望できます。

快晴の日には富士山も見えるらしいのですが、私が登城した日は、曇り空だったため、残念ながら富士山は見えませんでした。

 

6 松代城(長野県長野市)

 長野市郊外の千曲川に沿って築かれた城で、戦国時代は海津城と呼ばれ、川中島における武田軍の前線基地として、最も有名な第四次川中島合戦の舞台の1つになっていました。

 大阪の陣の後、真田信之は上田から松代に転封を命じられ、以降、幕末に至るまで、真田の城下町として発展してきました。

 現在は、城跡に石垣や櫓門、土塁等が復元整備されており、往時の姿を偲ぶことができます。

 また、松代の街並みは、今も江戸時代の雰囲気をよく残しており、武家屋敷等も残っています。

城の近くには、真田宝物館があり、真田家ゆかりの様々なお宝を拝観することができます。

 

以上

(弁護士 小向俊和)

 

□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■ 7月10日法務セミナー開催のご案内

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

※開催は終了しました

 

【セミナー概要】

 ──────────────────────

 テーマ: 『不動産の相続登記や住所等変更登記の義務化』

マスコミ報道などでご存じのように、本年4月1日から相続登記を3年以内に申請することが義務化され、違反すると10万円以下の過料のペナルティが科せられます。

さらに、令和8年4月1日からは所有者の住所が引越し等で変更したら2年以内に変更登記を申請することが義務化されます。

その趣旨や内容、注意点をわかりやすく解説しますのでぜひ御参加下さい。

 

 講師:   官澤里美(弁護士)・佐藤光洋(司法書士)

 日時:   2024年7月10日(水) 15:00~ 1時間程度

 ──────────────────────

 

□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■ あとがき

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

メールマガジン配信担当 総務課のWです。

当事務所のメールマガジンをお読みくださり誠にありがとうございます。

 

内容はいかがでしたか?

内容についてのお問い合わせやご感想は当事務所までお気軽にお寄せください。

セミナーでじっくり聞いてみたいテーマやメルマガ法務コラムで取り上げてほしい、

ちょっとした法的な疑問などもぜひお知らせください!

 

今回のコラムは風呂敷にお城と和風な話題でしたので、あとがきも和風に着物の話題でも。

着物は季節ごとにもルールがあり、6月は裏地のない単の着物、帯や小物もそれにあわせた素材、薄さになります。

ただ最近は5月6月も暑すぎて単の着物でも汗だくになるので、肌着や襦袢など見えないところを麻の涼しい素材にするなど、今までの慣習やルールに縛られすぎずに楽しんでいます。

とはいえ汗だくになると着物のお手入れが大変なので、暑い時期は着ずに終わってしまうのですが。

 

時代、文化、環境の変化で、大体の人は着物に風呂敷で通勤はできないし、山城も土塁も堀も不要になり道路や宅地になっていて身近にはありません。

古き良きものに触れる機会がないのは残念なので、今年の夏はせめて浴衣にかわいい風呂敷包みを抱えて旅行やお散歩を楽しもうかなと思います。

(さすがに現代っ子の私では着物で城は無理ですね…。)

 

 

今月のメルマガは以上です。

次回は7月25日頃配信予定ですのでお楽しみに!